黒髪でカラコン

黒髪にカラコンは似合わないと思っていますか?
実際はそんなことはありませんよ。
むしろ茶髪より黒髪の方がカラコンが似合うといってもいいです。
日本ではカラコンにギャルファッションのイメージが付いているので黒髪のカラコン選びを難しく考えてしまう人がいるのでしょう。
では黒髪の人がどういうカラコンを選べばいいのか・・・
それは私が運営しているサイト(黒髪 カラコン)に詳しく書いてあります。
このカラコンを選べばOKというものではなく、自分のなりたい印象に合わせたカラコンを選ぶことが大事です。
例えば大人っぽく見せたいとか、ハーフっぽく見せたいとかそういう自分がなりたい印象に合わせてカラコン選びをする必要があります。
運営サイトではもっと詳しく解説しているのでぜひご覧ください。

オイリー肌に悩む人のおすすめ化粧下地

オイリー肌は脂性肌とも呼ばれますが、朝ばっちりメイクしても昼頃にはもう顔がテカってしまったりして悩んでいる女性もいると思います。
オイリー肌の原因としては生まれつきのものだったり食生活の乱れ、睡眠不足などの生活習慣の乱れ、いろいろなものがあるのですがいづれの原因にせよ一朝一夕にどうにかなるものではありません。
せめてメイクでテカリを少しでも抑えたいのではないでしょうか。
そこでオイリー肌の人におすすめの化粧下地を紹介しているサイトが下記のサイトです。
オイリー肌 下地

この記事を書いている時点で紹介されている商品は下記の商品です。

  • MIMURA SMOOTH SKIN COVER
  • シルキーカバーオイルブロック
  • レブロン フォトレディ プライマー
  • エテュセ オイルブロックベース
  • ソフィーナ プリマヴィスタ 皮脂くずれ防止化粧下地

当然全てオイリー肌の女性におすすめの化粧下地なのですが、その中でも特にフィーチャーされているのがMIMURA SMOOTH SKIN COVERです。
特徴としては以下のようなものがあります。
少量を薄く伸ばして顔のテカリを抑えてお肌の凸凹部分のクレーターをカバーしてくれます。
パウダーが配合されていてサラサラな仕上がりなので化粧崩れもしにくいです。
これひとつでファンデーション無しのすっぴん風メイクもできます。

オイリー肌の下地については以上です。
最後にオイリー肌の人に気をつけてもらいたいのが洗顔です。
1日にあまり何度も洗顔したりゴシゴシと強く洗顔するとお肌に必要な分の皮脂まで無くなってしまいます。
過剰な洗顔による皮脂の取り過ぎにはくれぐれも注意してください。

テスト投稿

 軋むような、しかも陶酔して弾かれているような旋律の細かく高いヴァイオリンの音につつみこまれた感じで、夜の一時頃ヴォージラールのホテルへ帰って来た。いつもは十二時過ると扉もおとなしく片開きにしてある入口が、今夜はさあっと開いたままで、煌々と燈火のついた広間に人影もない。一階二階と正面階段をゆっくりのぼってゆくと、何処にも人影はないのに燈火は廊下毎に明るく惜しげない光の波の端から端までを照らしている。祭の夜にひっ攫われたような荒っぽさと寥しさがホテルの建物じゅうに満ちているところを追々のぼって五階の廊下へ出たら、ここの廊下も同じく隈ない明るさにしーんとしずまって、人気もない沢山のドアの前へ、どこの洒落もののいたずらか、男と女との靴が、一組一組、みんなちんばに、てんでばらばらな途方もない片方ずつによせあつめて散らかされている。ドアの内がひっそりとしているだけに、華奢な女靴と男靴とのごちゃまぜは何ともいえない諧謔があって、悪意なくこみ上げて来る笑いをおさえることが出来ない。六階はどうだろうと物ずき心を動かされ、すこし急いでのぼって見たら、やっぱり! ここにも同じことが起っている。それだのに、何処をさがしたって、廊下じゅう人っ子一人姿は見えず、自分の部屋のドアの前に立ってゆっくり鍵でそこをあけて入ったら、夏のほてりがいくらかこもりながらも涼しい風が暗い室へ入って来る。ヴェランダの彼方の祭の夜空にエッフェル塔のシトロエンの広告が、この高さでまた新しく甦って来る音楽やどよめきの上に、6シリンダア6シリンダアと機械的な明滅をつづけていた。

 一番の七時二十五分の列車で私は不安な帰途についた。見知らずの人がすぐ隣りに居ると思うとその人達を研究的な注意深い気持で観察し始めるので病んで居る妹の事を思うのは半分位になった。
 電報を受取った日のまだ明るい頃友達の所から本の小包をうけとった。
 まだ頁を切ってない本が三四冊あったので私は八時間の長い間そんなに退屈もしないですんだ。
 飛ぶ様に変って行く景色、駅々で乗込んで来る皆それぞれの地方色を持った人達に心がひかれて私は自分が今妹の病気のために帰京するんだなどとは云えないほど澄んだ面白い様な気持になって居た。
 氏家駅に来るまで私は本を見景色をながめして自分ではらう事の出来ないほどの不安には迫られないですんだ。
 氏家から乗って来た五つ六つの娘が痛々しくやせて青い営養不良の顔をして居たのを見たら年頃も同じ位なんですっかり気になり出して仕舞った。
 あんな青いだろうか、あれほどやせただろうか、どうか悪い病気でなくてあればいい、生きて居て欲しい。不安や恐ろしさや悲しさが私の心の中に渦巻き立つと胸がこわばって息をするにさえ苦しい様になった。
 一つところを見つめて私はせわしい息を吐きながら布団の中に埋る様にして居る幼い妹の事を思った。
 涙は絶えずまぶたに満ちてそれでも人前を知らん顔を仕終せ様とするにはなかなかの骨折で顔が熱くなって帯を結んだあたりに汗がにじむ様だった。
 死ぬとか生きるとかと云う事はまるで頭になく只私と仲の良い小さい娘に会いたいと云う心ばっかりに司配されてスタスタと走って行ったら汽車で行くよりかも近路をしたら早くはあるまいかとさえ早く行きたいと云う心が思わせた。
 平凡な田舎から出て見ると都のステーションとは気がポーッとなるほどせわしない活気のある世界であった。
 家までやとったまだ若い車夫はずるくて鈍間でゆるい足袋を雨上りのぬかるみにつけてベジャベジャベジャベジャ勢のない音を出してゆるゆると走った。

 わたしは、もう久しい間、いつかはそのような仕事もしてみたいと思っている一つのたのしみがある。それは、ロマン・ロランによって描かれている魅力のふかい多勢の女性たちについて、こまかくよみくらべ、おどろくような多様さでいのちづけられている彼女たちの存在の意味をこんにちの歴史の中で明瞭にしてみたいという考えである。
 一九一七年に、そのころ後藤末雄氏によって訳された「ジャン・クリストフ」(国民文庫刊行会版)を読んだときの感銘。それから「魅せられたる魂」の英訳がはいって来て「アンネットとシルヴィ」「夏」「母と子」と一冊一冊おぼつかなくよみすすんで行ったころの感銘。ロマン・ロランの芸術の世界で男は何と男らしく、女は何と女らしく、互の関係の中でいきいきとした人間像を浮き出させているだろう。世界文学は、感銘ふかい女性をいくたりも描いている。とりわけフランスの文学は、歴史のそれぞれの時代に女性の生きた姿をまざまざと芸術のうちにとらえて来ているし、婦人作家自身、どの国よりもゆたかに真実の女性を描き出しても来ている。けれども、ロマン・ロランの女性たちには、一種独得のところがある。多種多様のあらわれかたをしている「ジャン・クリストフ」の世界の女性たちのある資質が、そのみずみずしさ、真摯さ、溌溂さで「魅せられたる魂」のアンネットやシルヴィにまで伸び育ってゆく過程は実に心をひかれる。「ジャン・クリストフ」の世界で、それぞれの女性たちは、その優れた美しさや知性や熱情にかかわらず、これまでどおり、社会関係の中では男に対する女としての角度からよろこび、悲しみ、波瀾にもまれている。彼女たちはジャン・クリストフの感性から働きかけるだけの存在であった。アンネットにおいてはロマン・ロランは男と同様な人間であり、人間の男が男であるとおりに、人間の女が女である女らしさをうち出そうとした。社会関係に対して動的な女性、単に習俗にしたがうよりも自分にとって人生の原則と感じられる動機によって行為を選択して生きる女性。ロマン・ロランは、アンネットによって、最も現代史を積極的に生きとおす可能をもった女性の発端の歩みを示したと思われる。